![]() |
前の記事へ← | 一覧に戻る | →次の記事へ |
一木造りと寄せ木法 | 2008/08/24 | |
日本の佛師の祖と呼ばれる人は平安時代末頃に寄せ木法、賽の目法を発明した定朝とされています。 勿論それ以前から日本人佛師の活躍は有ったでしょうが、やはり朝鮮から次々と渡来してきた佛師達の影響を強く受けて、それ以上の技術を表現するには至らなかった訳です。 その頃の造佛法は木と木を貼り合わせ、足らない所も細部に渡って接ぎ合わせてゆき、基本的には佛像の内部は空洞ではなく’むく’の状態でした。むくの佛像の短所は、歪み易い、ひねり易い、割れ易い、設置した床が腐り易い、何といっても一番は重いという事が上げられます。 むくの木材は、10年20年乾かした位では水分は抜けきりませんから、大きな佛像を造る場合には制作手順に色々と不都合がありました。たとえば、木を貼り合わせる接着剤にはニカワを使っていたのですが、ニカワは接着力が弱く、木に湿り気が残っていますと乾ききらない内にカゼを引いてしまい、更に接着力が弱くなるということがありました。 おまけにカンナがまだ無い時代でしたから、接着面も現在のようにきれいに平らにはならなかったでしょう。割れないよう、接着面が離れないよう、木のご機嫌を取りながら完成しましても佛師は不安な日々を送り、今で言うメンテナンスをこまめにしなくてはいけなかったでしょう。大きなヒビ割れが顔等に入った場合は、施主を含めて悲惨な思いで佛像をながめているという光景が浮かんで来ます。 そんな時に渡来技術にはなかった寄せ木法、賽の目法を定朝が発案して大きな佛像も三十三間堂の千手千体観音のようなたくさんの佛像も短期間で仕上げる事が出来るようになり、更には中を空洞にする事によって、割れ・歪みの心配もずいぶん減ったのです。 寄せ木法、賽の目法に関しては説明をしますと長くなりますので省略致しますが、この二つの技法は現在の佛師達にもしっかり伝承されています。 また、これを超す技法は未だ見つかっていません。 以上のように書きますと一木造りにはメリットが無いように思われがちですが、それは大きな佛像を造る場合に限ります。 実際には寄せ木法が発明された後も、小さな佛像は一木造りで彫られています。 只、私共が古い仏像を修理しておりますと、小さな佛像でも数ヵ所は接いであることが確認できます。私の目から観れば、何故こんな所を接がねばならぬのか?という疑問が湧く程たくさんの接いだ箇所を発見することもあります。 接いだものや寄せ木法で出来た佛像は、ニカワの寿命があるので、どんなに長くても200年以内に継ぎ目が離れてきてしまいます。200年程経っているのに一見して何ともないように見える佛像でも、ニカワの接着能力はゼロになっていますから、表面に施してあります漆等の強度でかろうじて原形を保っているに過ぎません。地震等で大きく震動しますと間違いなく何ヶ所かの部分が落下する事でしょう。目安として、どこか一つでも部分が落下しましたら、もうその佛像は全体を修理しなくてはいけない時期に来ていると判断致します。 昨今造られます佛像の接着剤には木工用ボンドを使用します。このボンドはニカワに良く似た性質で、画期的な水性の接着剤です。しかし未だ半世紀余りの歴史ですから、はたして200年300年経った時にどの位の強度を保っているかは解かりません。 |
||
しょうみょうあん コラム | (c)Shomyoan all rights reserved. |
前の記事へ← | 一覧に戻る | →次の記事へ |