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人は作品なり 作品は真に人なり | 2008/08/24 | |
千人の佛師がいて、一つの題材を一斉に彫りましたら千通りの佛像が誕生して参ります。 勿論外見も本質もです。佛師は施主の願〞をよく聞き、ひとノミひとノミに願〞を木に伝えて、木の内にいます佛をお迎えする訳です。そういう願〞が込められた佛像は出来上がりの表情が違います。 原木から一躰の佛像が完成される迄には、何千・何万・何十万とノミが入ります。「無我の境地で彫る」と言いますが、そこには知らぬ間にその人の人生観や技術というものが、施主の願〞と一緒に入ってしまいます。 これが出来上がりの相違となり人は作品なり 作品は真に人なり〞となって表現されていくのです。 私は全国の佛像を拝観致します時に、佛像の制作年を想像したり、又佛師の力量や新しい技術の工夫等を発見することがあります。そうしますと、心はその時代にタイムスリップをしてしまい、有名な佛師の運慶や快慶達がロウソクの灯りで佛像とにらめっこをしながら思案をしつつノミを振るっている姿など、色々の場面が浮かんで参ります。 各時代に制作されました佛師の思惑がいっぱい入った佛像には、それぞれの時代のロマンが凝縮されているかのようです。 又、自分の心の有り方次第では佛の表情も違って観えるものです。怒られたり、励まされたり、癒されたりと、佛さんは尊大な立場で我々を、目に見えない力で導いて下さっているのではないでしょうか! |
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