先人たちは、佛像彫刻を芸術品としては見ず、純粋に礼拝の対象として拝んでまいりました。私自身も100パーセント礼拝佛として制作しますが、時代の風潮と申しますか昨今は芸術品、美術品としてのみ買われる方も増えてきております。
礼拝佛の一面には昔の時代から美術的・芸術的要素を強く必要とされましたから、佛師たちは献策し、競い合って後世にすばらしい佛像彫刻を残せたわけです。すばらしい芸術品とはくどくどと説明が要りません。 絵画でも焼き物でも、その前に立てば作品が話してくれます。特に佛像は人の姿をしていますから、会話もできるのです。
「佛像とは一体なんだろう」と自分自身に禅問答したことがあります。しかし何事にもそろい過ぎた現在の環境では答えが出ません。思い切って大昔に心をタイムスリップし、衣・食・住に加えて暑さ、寒さ、特に医療が遅れている時代に飛んでみました。するとなんとなく答えが見えてきました。それは「祈り」だったのです。 自然に逆らわないで生きていた時代は、飢餓や病に想像もつかないほどの悲しみ、苦しみを体験したことでしょう。そんな時にはなすすべもなく、天に向かって、例えば「どうか、この子の命を助けてください」とお願いをしたと思います。その強い願いが祈りとなって、具体的な形を必要としていったのです。
仏教は偶像崇拝です。八百万(やおよろず)の神仏がいます。その一体一体も、そういった祈りの中からこの世に誕生したことでしょう。私もこれまで何体も、過去になかった佛の名をつけました。これからも八百万の神仏の数は膨らんでいくと思います。佛様は幸福を願う祈りの声が形になったものです。くれぐれもおかしな迷信に惑わされぬように。
|