一体の佛像が仕上がるまでには、大きさや種類によっても違いますが、何千、何万と彫刻刀が入ります。 たとえ同じ佛師が彫ったとしても、微妙に違ってきても当然といえましょう。その微妙に違って仕上がるのが味であり、手彫りの良さです。その結果いろいろな表情をもたれたお像が誕生してくるわけです。
いつの時代でも、時代ごとに特徴があります。天平・白鳳(はくほう)・飛鳥と時代がさかのぼるほど、中国、朝鮮の影響が強く、平安中期以後になって天才佛師定朝の出現により、日本文化に溶け込んだ佛像として完成していきます。
鎌倉時代の運慶、快慶の名は有名です。同じ慶派でも使用する側・運慶と、される側・快慶という立場でしたが、二人共にすばらしい技量と個性(特長)を持っていました。封建時代にもかかわらず、その特長を打ち消しあうことなく競い合うライバルとして、東大寺の仁王像に代表されるようにそれぞれが一体ずつ受け持って仕上げるという方法をとっていきました。 このように鎌倉時代は康慶(運慶の父)、運慶率いる大佛師軍団が伸び伸びとした作風を開花させた一番華やかで盛んな、佛師にとっての黄金時代でもありました。
その後は時代が下がるにつれて佛師の活躍する場は失われ、戦後の一時期まで低迷の時を過ごします。しかし脈々とその技は伝えられ、現在多くの佛師が日本中で腕を振るっている時代となりました。 運慶も私たちも、刀を入れる気持ちに変わりはないでしょう。 私はいつも最後の一刀を入れ終えた時、無上の充実感を覚えます。例えようのないこの喜びは、佛師にしかわからない大切な心の宝物です。多くの寺にある佛像も皆、先人たちの最後の一刀の喜びがこめられていることでしょう。
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